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アニメ86ーエイティシックスーの魅力
アニメ86ーエイティシックスーの最終話23話を見終わり色んな人の感想を見たりしたわけだけど、ジブリの動画解説とか普通に面白くて拝見していた岡田斗司夫さんはこの作品をどう評価してるかなぁと思ったらまだ観ていないらしい(2022/03 時点)。
数多にあるアニメを1から全部見る時間がないし、本当に良い作品なら自分の元に勝手に届くからそのとき観るというスタンスだそうで、それはそれで面白い考え方だなぁと思います。
でもそうか、岡田さん視点の解説動画は出るにしてもまだ当分先となると、この作品をもうちょっと人に広めたいかなと思ってる私としては自分で解説するのが一番手っ取り早いってことになりますね。
そういうわけでできるだけネタバレはないように1話を切り取った感じで自分なりの86の魅力を解説したいと思います。
魅力その1 ―映像のこだわり―
映像のこだわり感は半端ない。戦闘描写がすごい
1話の冒頭から線路が映し出され視聴者はとつぜんエイティシックスの世界に放り込まれます。

どこまでの続きそうなこの線路を高速で移動しながら、段々と地平線上の先にキラキラと輝く白い群れのようなものが写って、続いてシャカシャカと走る多脚戦車が現れる。激しい戦闘シーンが写り最後に主人公シンの顔がアップされ暗転。ああ、これはロボット戦争アニメなんだと理解します。
この戦闘シーンが始まるとその高速戦闘の描写に一気に心を掴まれるわけです。
よくよく戦闘シーンを見るとブレードのようなもので相手を斬りつけたり、ワイヤーを打ち出してそこを支点にぐるんと旋回するアクションとか入っておりスタッフのこの作品にかける意気込みのようなものが感じられる冒頭シーンはすごいの一言です。
魅力その2 ―細かい心理描写と対比―
映像の違いなどで視聴者を引き込む作りがすごい
戦闘シーンとは打って変わって静かな空間のお金持ちな家庭を思わせる場所で、軍服を着た少女が現れ花瓶の白い百合の花に向かって敬礼を行うシーン。

実は冒頭の線路のシーンと花への敬礼のシーンは最終話23話を見ると見事に対比の構造になっておりレーナの成長やずっと見てきた視聴者へ感慨深い思いにさせます。
なお1話終盤でこの画像の部屋の花瓶は白い百合の花を抜いた空の状態なっています。
レーナが抜いたシーンは写ってませんが、囚人区の人間たちとの関わりが深まるにつれて(戦死者を見るにつれて)白いものに対する嫌悪感のようなものが現れているのではと想像させるシーンになります。
1話の段階では世界観や用語など全くわからない状態から入りますが、言葉の説明をせずに最もわかりやすく伝えているシーンは街中を映すときあるものを中心にしたアングルになります。
それは「髪の毛」です。
行き交う通行人を微妙に上からのアングルで写し、商店街のマネキンの下から見上げたアングルでは髪を印象つけるような視点で写しています。その時点でこの街の住人は全員肌が白く髪の毛も銀髪だけの住人という異様な光景になっており、普通ではない雰囲気を感じさせます。
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エイティシックスのメイン舞台であるサンマグノリア共和国は、ギアーテ帝国の無人兵器レギオンに襲われる前は多民族国家として成り立っている。
レギオンのAIは6年で止まるプログラムが入っており、6年を持ち堪えればこの戦争は勝てると考えた共和国はある日とつぜん白人種至上主義のもと白系種以外の有色種を首都の全85区画から120km離れた収容区外(86区)へ追い出す。
補給物資とジャガーノートという戦闘兵器を与え戦わせて、残り2年間を持たせれば良いという考えのもとハンドラーという指揮官をつけ安全圏から指示というなの監視役をつけた。
首都から120kmの間には対人用の地雷を大量に埋め、86区の人たちは首都へ戻ることもできず外もレギオンに囲まれた状況で生き残るために戦うしか無いという死を待つだけの状態。
白系種の国民には無人機で戦っており安全で血の流れない戦争と伝えてあり、毎戦闘多くの戦死者を出しているのが現実だったが、共和国で平和を享受している人たちは「今日の戦いも戦死者0でした。」と86区の人たちを無いものとして扱っている。
彼らの存在を知っている人たちからはエイティシックスと呼び蔑称されていた。
このような仕掛けを随所に仕掛けており、普通に視聴しただけではよくわからない感じになるのですが、細かい設定探しが好きな人にはたまらない作り方となっている。
また作品の中での一番の対比は主人公が2人いることです。
今後最終話までレーナサイド、シンサイドに交互に別れて展開されていきます。
1話で気になったシーンはこの2人の主人公のレーナサイドの空の描写とシンサイドの空の描写です。


この空に関しての説明は結局なかったのですが、いろいろ調べてみると一つ仮説が立てられます。

主人公レーナのいる場所はこの首都サンマグノリアの塀のような要塞に囲まれた地域の中心部にあります。85区に分かれており、中心部には生産プラントやレーナたちの86の指揮官エリアが存在しています。対して86区は右下の首都から120km離れた位置にあります。
察しの良い人はユダヤ人収容所を思い出していると思いますが、その収容所の人を街から離れた位置に住まわせ、ジャガーノートという多脚戦車を与えて戦わせているのが86の舞台になるわけです。
しかも地雷原がそこら中にあり、周りはレギオンの支配域なので現状では物資の届くかぎりは最低限収容区にいる方がマシなのかもしれません。
昨日まで普通に接していたのに突然人が変わったように収容所送りなんて現実にあるの?という人は「あります」とお答えします。
私の中で記憶に新しいのはルワンダの大虐殺になります。
詳しいことはネットで調べて欲しいですが、国民感情でずっと鬱憤が溜まっていたのもあるんでしょうが、ラジオの扇動をきっかけに隣人を斧で殺してしまうところまで発展するというのは理解し難いのですが、現実に起きたことなのです。
魅力その3 ―敵の設定―
アニメの中でたびたび蝶のようなヒラヒラ飛んでいる機械が出てきます。
この敵は阻電攪乱型〈アインタークスフリーゲ〉と呼ばれておりその名の通り電子機器を妨害するジャマー的な役割を持っています。電波を妨害したり飛行機などミサイルを打とうとするとミサイルに突っ込んで撃ち落としたりします。
ガンダムでいうミノフスキー粒子が自動で襲ってくるみたいなイメージですね。

こいつの怖いところは都市部の制空権を完全に支配しつつ膨大な数を利用して日光を遮断することも可能なところです。上の画像の空の違いはこのアインタークスフリーゲが上空を覆っているかどうかの違いではないかと思います。
都市から離れた位置にある収容区に関しては戦争後に作られた場所だったため上空の制空権を取るという設定がされていなかった可能性もあります。
激戦区の86たちは青空を見ることができて、かりそめの平和を享受している首都の人たちは見ることができないというのは皮肉に感じますね。
魅力その4 ―対比―
2人の主人公サイドを同時に観る残酷さ
一度触れていますが、1番の魅力はなんといっても主人公が2人設定されていることです。
片方は首都の中心部から映像で見ることのない声のみ存在するただの文字列を見て指示を出すレーナと、もう片方は直接レギオンと激しい戦いを何度も繰り返すシンの2人です。
レーナとシンたち86はお互いにアインタークスフリーゲの電波妨害を受けずに共感覚の通信をやり取りできる装置をつけています。
声のみは聞こえるので戦場での悲鳴など毎回聞いていたら精神がやられそうですが、白人種至上主義の人たちにとっては家畜以下の存在である86たちの悲鳴はなんとも思わない人たちがほとんどです。
レーナはその中で死を共有しようとするレアな存在になります。


ゲームのような感覚で現実味のない数字だけの画面。
しかしどんなにレーナが優しい声かけや関係性を持とうとしても、86から見ればレーナの労りの声かけも現場から遠く離れた安全な位置から指示を出すただの白豚なのです。
そして86は長い戦いの結果、大人たちが前線に出続けたことで現在では子どもたちしかほとんど残っておらず、中でもシンたちスピアヘッド隊は類まれな実力を発揮して生き残った歴戦の猛者たちです。
この2人の視点に物語は話数を重ねていきます。
とにかく残酷な世界なので重いわけですが、この2人の視点を通じてどちらにも感情移入していき、気づいたらいつの間にかストーリーに引き込まれている自分に気づくと思います。
最後まで観たとき何度も泣いてしまうほどの作品はなかなかなかったので少しでも興味を持っていただけたらぜひ観てほしいと思います。
ここまで観ていただきありがとうございました。
それでは。