(コラム1) 自己嫌悪アップデート

 
 
おかえりなさい。れおんはーとです。
 
今回はコラムという形式で日記的な感じで 書いてみます。
せっかくアップデートした知識を頭の中にだけに 埋もれてしまうのはもったいないと感じたので アウトプットも兼ねて書いていこうかな と思った次第です。
 
ちなみに知識の定着にはインプットだけでは 効果は低く、誰かに話したりして思い出すという 脳の活動によって脳の神経はこの記憶は 重要なんだなと認識するため、記憶の定着に 繋がるそうです。
 
確かに話し上手で知識も豊富な人は 雑談がとても好きな人だったりしますしね。 納得といった感じです。
 
 
【表示】目次
 

自己嫌悪アップデート

 
筑波大学心理学類 教授 佐藤有耕さんのPDFより
 
 
ディーヴィとウォール(Deevey & Wall 1992)は 自己嫌悪は、自己肯定を妨害するが、その一方で 自己嫌悪は自己破壊を止めてくれる、と指摘した。 社会からの否定的な圧力が向けられた個人は、 そのような圧力を甘受し、自らが自分が 恥ずべき存在であると認めてしまうと、社会の 圧力に耐えられず自己破壊へ追い込まれる。 一方、社会は社会、自分は自分と考えて 社会の圧力をはねのけられれば心の平穏に 至ることができる。しかし、それはそう簡単では ない。そこで第三の生き方として、社会からの 圧力を甘受し、自分が恥ずべき存在であると 認めながらも、そのような自分を自分で非難し 自分で嫌悪することで、社会の価値観とも 共存するという生き方がある。これによって 自分も多数派の側、強者の側に立つことができる。 それゆえ、心の平穏と呼べる状態ではないに しても自己破壊には至らずに済むと考えられている。 自分を嫌悪する側に立ち、自分を他者のように 避難することで、自分を守ることができるという 指摘である。
 
なんとなく感じていた感覚を言語化して もらった感じですね。
 
つまり自分が嫌いということの根底にあるのは
 
 
 
 
 
 
「世界中の中で一番自分が 嫌いであることを理解しているから 周りの誰が言おうと関係ない」
 
 
 
 
 
 
 
という最強のバリアで自分を守ることで 本当は他人によって傷つきたくない自分を 自分が嫌いという偽りの意識で自分を 追い詰めないギリギリの状態で守っている。
 
 
 
 
つまりこれは自分が好きで好きで たまらないから、なんとか自分を守っている ということですね。
 
生物学的に考えると人間も生き物である以上 自分を嫌いになって得することってあるのか と考えた時、確かに上の理屈なら 納得といった感じですね。
 
 
自己破壊から守るために自分を嫌うことで 数多くの人が感じている自己嫌悪という 共通項になることで一定以下に 行かないようにしている。
 
 
つまりポジティブに捉えると
 
自分を好きになるチャンスをひたすら じっと待っている状態
 
 
 
 
ある意味、自己愛の強い人はこの真逆 自分が好きで好きでたまらないことで 他人から嫌われることに対して 傷つかないようにしている。
 
 
 
自己嫌悪の人は社会的に認められた時 ようやく一歩踏み出せるというのは 自分の経験も踏まえると重要なことな 気がします。
 
 
興味深いのは「強者の側に立つ」ですね。 実は脳科学において強者の側に立つと セロトニンが出ることがわかっています。
 
例えば社長や役員、暴走族のボスなどは セロトニンが一般の人より高いことが わかっています。つまり疑似的に自分を 非難することで無理やりセロトニンを 作り出す機能がある、ということなんでしょうか。
 
面白いですね。
 
 
 
ここまで観ていただきありがとうございました。
 
 
それでは(^^)
 
よろしければ、こちらも見てください。
「自分が嫌い」悩む人たちへ向けた自己嫌悪の脳科学
誰しも自分のことが嫌いで嫌いでたまらない そんな時期を体験することがあるかと思います。 自分のネガティブな部分に目を向けて いつまでも自分を責め続けてしまう 心の自傷行為。自己嫌悪。 ここを見ていただいてる人の中には 自己嫌悪でたまらずどうにかしたいと 何か打開する糸口を求めて来ていただいた方も いるかもしれません。 私自身、大学入試失敗〜大学除籍になるまでの間に 親との確執を経て自己肯定感がゼロになるまで 経験したことがあります。 ですので内容的には親子関係の悪化からの 自己嫌悪に関する内容が多めになるかと 思いますがご了承ください。 もし読んでいただいてちょっとでも 気分が変わったりしていただければ 書いた甲斐があると思います。 先述したように以前の私は自分が嫌いで嫌いで たまらない経験をしてきました。 ですのでまずその話をさせていただきますが 必要ない方は目次から飛ばして 現在(2022/01/24)わたしは10年ほど福祉の仕事に携わり 今は残りの人生を老人ホームで過ごすことになる ご高齢者をお世話させていただく仕事をさせていただいています。 こうした福祉の仕事をするきっかけになったのは 自己嫌悪で苦しんできた時期を乗り越えた 一つのきっかけになったからかもしれません。 18歳〜23歳にかけたいわゆる受験から成人にかけての どこでもあるような自己成長の失敗体験ですね。 母親も父親も大学を出ていません。 長男である息子にはせめて大学を出て社会で困らないだけの 切符を渡したい、そんな気持ちが強かったはずです。 後から聞いたことですが母親は長女として やはり父親である祖父とは仲が悪かったようで ずっとトラウマを抱えたようです。 だからこそ自分の家庭ではそんなことはさせたくない せめて大学を出るだけのお金は出して、その先を 苦労しないようにと考えるのは当然だったと思います。 ところが蓋を開けてみたら息子は お金を使って塾に通わせたにも関わらず 成績も大して伸びず受験は見事に失敗して浪人生活。 一緒に通っていた友人たちは全員大学へ進学。 浪人を2年かけてようやく入った大学も成績は伸びず留年 大学2年生の時、家族会議で息子はあっさり 大学を捨てる決断をしようとするわ その後大学に残るように説得したものの 息子は高い金を出して買ったパソコンにはまり込んで 半引きこもりになるわ 卒業論文さえ書けば卒業できるのに学校へ行くことすらせず